法話「仏説観無量寿経」 教徳寺 第23回婦人会総会 住職:釋 崇心、前住職 挨拶

住職の釋 崇心と申します。 あの、まぁ今年がね3年目になりますけれども、 まぁ本当に2年前に住職になって から、 ちょっとずつねお葬式とかも務めさせていただいて、その機会機会にお話することもあるんですけども、 なかなか法話というのは難しいなと思います。私もこうはっきりと分かってないようなことをね、 皆さんにお伝えしていくっていうのは、ほんまに難しいことやなと思うんですけども、 その中でも、毎日お勤めをして、こういった法事法要の中でお話をさせていただいて、 いろんな本を読む中でですね、ま、感じたことを少しずつ お伝えしていければなというふうに思っとるところです。ま、今日は45分というね時間を頂いてまして、 資料として1枚の紙渡させてもらっとるんですけども、こちら皆さんお持ちですかね? 渡ってますか?ない方いらっしゃったら。 [音楽] 行き渡りましたかね? あとあの永代経の時に善覚寺の日野先生っていう方が、 法話を始められる前に三帰依文のご唱和をしたんですけど、覚えとられますか? みんなまだあの赤い本持ちですか? ちょっとこれから始めさせていただこうかなと なかったらあの前から取ってください 私が初めの三行と最後の二行を一人で読みますんで、一段低くなっとるところですね、 自ら仏に帰依したてまつるというところから、あの六行ですね、あの皆さんと一緒に読みたいなと思います 赤い本開いて1ページ目ね、1ページ目ていうか、開いてすぐ右手のところです。 人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。 この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん。 大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし。皆さんと一緒に読みたい思ます。 自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道を体解して、無上意を発さん。 自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵に入りて、智慧海のごとくならん。 自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して、一切無碍ならん。 無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭遇うこと難し。我いま見聞し受持することを得たり。 願わくは如来の真実義を解したてまつらん。 ありがとうございます。 あ、そうですか 小さい本は一番最後に 載っている? ありました、はいはい。 これは私、あの本山で勉強する時も大体ね勉強の前に読む、 三帰依文で、これ別に真宗大谷派だけではなくてね仏教会全体で、 仏法僧の3つですね、それに我々は帰依していくんですっていうのを、 ま、述べてからいろんな授業を進めていくいうようにしております。 この仏法僧を大事にするてのが一番ね、仏教の、まぁ、みんな統一の考えになりますね。 はい、では、えっと今日はですね「仏説観無量寿経」という、 お経に関して、ま、お話をしていき たいなと思うんですけども、ま、資料の方に 書いてます通り、初めにですね 「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし。」 というところがあって、で、最後にですね「ただ信心を要(よう)とすとしるべし。」 で、ま、今日終わっていきますけれども。あの仏説観無量寿経というものを親鸞聖人は どういう風に頂いていかれたのか、ま、そういった確かめが最後にできればなという風に思っております。 あの、2年前に私ここでもあのお話を させていただいたんですけど覚えとられますか? え、全然覚えてない? まだ住職になりたてでね、自分の自己紹介をしたりとか、ま、うちのおじいさんが、 どういう風に私に伝えてくれたか、そんな話をね、ちょっとさせてもらったと思います。 それで、あの総会の朝にです、私の母親が救急車で運ばれたんですよって話を ちょっとしたん覚えますか? で、その時に私の母に 南無阿弥陀仏の教えに出会ってください、出会ってくれよ。南無阿弥陀仏やぞって言うたのを、 そういう風にちょっと最後に話したかなと思うんです。思い出しました? でね、なんで、ま、南無阿弥陀仏なんやっていうところがね、なかなかその時は多分お伝え できなかったかなと思うんですけども、ま、それが仏説観無量寿経の中にもちょっと出てきとるという ところもあるんで、ま、そういった お話ができればという風に思ってます。 特にね、婦人会の総会というところで、仏説観無量寿経というお経は韋提希夫人(いだいけぶにん)という お妃様に説かれとるお経になります。だから女性の方に説かれた法話ですね。 説法、まあそういった点もあってですね、今日この題材を選ばせていただいたというところになります。 韋提希夫人は「極楽世界の阿弥陀仏の世界に生まれたいので、 私に浄土の姿を想い描く方法を教えてください。浄土の姿と私の心が一つになって、 正しく観る方法を教えてください」という願いを、あのお釈迦さんにお願いをされて お釈迦さんがこう説法していった というところがあの初めにあります。 どういう風にこう韋提希夫人が浄土の世界を観ていくことができたのかところをね、 あの最後にお伝えできればという風に思っております。 初めのね「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし。」という言葉ありますけども、これあの 歎異抄の中にある言葉なんですが聞いたことありますかね? あるような、ないような?あるよ 「南無阿弥陀仏と念仏もうして、ただ弥陀に助けられてください」というような意味なんですけども、 親鸞聖人は、この法然上人の言葉に出会って、念仏の教えを 「ただ信じるだけだ」と大事にされました。で、ま、この言葉は 親鸞聖人の門弟さんと呼んでいいかなと思うんですけども、御同行の方ですね、 同じく念仏の教えを頂かれとる方が関東の方から、親鸞聖人に会いに京都の方までですかね、訪ねていって その時に親鸞聖人がその方々に語った言葉でもあります。 その方々はですね、本当に念仏一つで阿弥陀仏の浄土に生まれることができるのだろうかと不安になり、 念仏以外の道があるのではないかと疑ってですね、 遠路はるばる訪ねておられるのですね、そこで親鸞聖人 はあなた方がそうやって疑われ るっちゅうのは大きな間違いやという風に言われます 強い口調で言われます疑いがはれない。はれないんであれば奈良や比叡山の高僧 立派な先生にそこを聞きになられ たら良いでしょうという風に勧められて、 改めてですね「この私親鸞におきましては」と、自分の名前を名告って法然上人との出会いを通して 自分の上に起こった目覚めですね 仏教をこのように頂いていきますという目覚めの事実を語られます。 親鸞聖人は20年に及ぶ長い比叡山での修行・学びの中で どのように努力をしても自分中心の心だったりとか、煩悩というものがなくすことができませんでした。 そして自分が凡夫(ぼんぶ)であるということに気がつかれます凡夫というのは 誰も傷つけずにまっとうに生きていくことができない悪人の私がおったというようなことです。 親鸞聖人はそのような自分に気がついて、どのように仏道を歩んでいいか分からなくなったんですね そして親鸞聖人は、法然上人を訪ねられます。 その時に聞いた言葉が先ほどの「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」です。 これがですね親鸞聖人が29歳の時に聞かれた言葉です。 9歳から比叡山に上がられて20年間修業されたんですね。親鸞聖人は、この言葉と一つになって生きる 法然上人のすがたを通して、凡夫を救おうとして「念仏しなさい」と呼びかける阿弥陀仏の心に目覚められます。 阿弥陀仏の心とは、一切衆生を「えらばず、嫌わず、見捨てず」救うという心です。 一切衆生、すべての命あるものをですね選ばず嫌わず見捨てずに救うという心ですね。 その心に出遇うことによって、初めて自分中心の心から離れることができた。 だから関東から訪ねてきた人たちを前にして自分の上に起こった目覚めの事実を 「この私親鸞におきましては、≪ただ念仏して阿弥陀仏にたすけられなさい≫、と教えて下さった、 よき人・法然の言葉をただ信ずるだけなのです。それ以外に何もありません。 念仏が浄土に生まれる種なのか、それとも地獄に堕ちる行為なのか、まったくもって 私の分かるところではありません。たとえだまされて念仏して地獄に堕ちることになっても 後悔することはありません。」とそういうように親鸞聖人には語られます 皆さんどうですかね、南無阿弥陀仏仏とただ念仏して弥陀に助けられてくれて言われてね、 それをもうそのまま、ありがたいもんやという風にいただかれて念仏されておられますか? 私はね、やっぱ疑ってしまうです。ま、疑ってしまうというか ほんまにそれでいいんやろかっていうところ、やっぱ確かめていきたい。だからまあまあ聞法ですね。 仏法を聞いていくというそこのスタートになってくるんかなとも思うんですけども、 私もその関東の方々と同じなのか、ま、やっぱ聞いていきたいてところがあるんですね。 そこが真宗の面白みでもあるんかなと思うんですけども、そういったことを機会機会にね、 あの確かめていければなという風に思っております。 (お弁当届いたかな?) 蓮如上人が書かれた御文、「信心決定のうえに、仏恩報尽のために念仏もうすこころは、 おおきに各別なり。」という御文があります。 信心が定まったその上に、仏の恩に報いて尽くすために念仏するこころは、 とても有難いものだ。という風に言われております。だから「信心を得てですね南無阿弥陀仏と申すことは、とてもありがたいことなんだ」 という風に言われてますけども、そこでやっぱり喜びがこう湧き上がってくる。 信心があって、初めてこう喜びてのが湧き上がってくるんですよという風に、言われとんかなと思います。 だからね、ちょっと信心というところはまた、 最後にお話をさせていただければと思うところです。 では仏説観無量寿経ですね、始まり からちょっとお話をさせていただきたいなと思います。 王舎城の悲劇っていう風に、 あの言われもするんですけども、仏説観無量寿経というお経は、大体うちのお寺では、 百ヶ日とか三回忌の法事でですね、詠ませてもらうと大体決めているんです。 ま、その他色々な法事が色々と重なったら、あの仏説無量寿経にするとかあるんですけど大体、その百ヶ日と三回忌の時に、 詠ませてもらって、お話をさせていただくというようにしております。 仏説観無量寿経の始まりは如是我聞ですね。このように私は聞きましたというお弟子さんの、 言葉から始まります。お弟子さんがお釈迦さんの言われたことをこう、まとめられて残されたものになりますので、 王舎城 耆闍崛山というところにお釈迦さんと沢山の弟子がおられた時に、 王舎大城に、太子の阿闍世(アジャセ)がおられました。 紙の中の登場人物っていうところにも書いてるかなと思うんですけども、主な登場人物は、 この阿闍世(アジャセ)とこのお父さんの頻婆娑羅王(ビンバシャラ)とこの奥さんの韋提希(イダイケ)さんになります。 その3人が起こす王舎城の悲劇の中で、お釈迦さんが説法を進めていくということになります。 阿闍世(アジャセ)が、提婆達多(ダイバダッタ=調達 (じょうだつ )にそそのかされ、 悪友、悪い友達ですね提婆達多にそそのかされて自分の父の頻婆娑羅王を幽閉します、幽閉というのは 牢獄に閉じ込めるんですね。これはなんでかというと自分が早く王様の位につきたいという事です。 (ここまで訂正)とこですそでビバラの夫人井はこっそりと ですね水とか食べ物を運んで与えますで さらにビバラ王はですねお釈迦さんにお 願いをしてその弟子の木蓮さんと木蓮さん に私に戒め白を授けてくださいというにお 願いをされ ますそしてお釈迦さんは古なというおさん を使わせてそののとろで法を解いて いただいお願いをえお願いをしたことに 対して釈尊はフルなさを使わせて方を解か せ ますまつまり あの食べ物もあって開立を守って法を効 くっていうことは何1つ過不足がないん ですね仏道を歩んでいくという中では不足 がない生活をするそのためにみの3週間の 間便は原つ顔色が良くやかであったま元気 であったという風に言われ ますそしたらまあねアジさん怒りますね 自分がこう自分の父を殺そうと思って牢獄 に閉じ込める直接ね殺すってことは なかなか 人前っていうのもあってできないからそう やって閉じ込めるんですねでそこでジせは ですねモを守る門番に聞きます王である父 はなぜまだ生きておるんだっていう風に 聞きますでそしたらその門番がですねいや 抱いてる人が体に粉と蜜を混ぜたものを 塗り洋楽にお汁飲み物をですね入れて運ん でで空から大木懸念と古が来てほいておる んです私には止めることができませんそう いう風に言うんですねで瀬さんはま怒り まして私の母は族である私の母は裏切り者 だという風に言ってですねでまた仏の方々 は悪人だという風に言うんですね原はの 呪術を使ってだから何日も生きていられる んだという風にねあのアジャスさんは言わ れるまそう言ってですね自分の剣を取って 自分の母を殺しに行こうとしますね自分の 母が勝手に自分の父を助けておったから母 も凱旋にはならんという風に思ったですね えその時にですねあの大臣ですね進化で ある学校さん月の光と書いて学校さんです 学校さんというよくものを知っておられる 大臣がギバさんともう1人の大臣と一緒に アジャ瀬に申し出ますビダ論業という経に おいてもこれまで悪い王様がいてです自分 の王様のくいをむさぼっていたためにその 父を殺害したということがま1万8000 ほだったという風には聞きますがしかし 自分の母をひどにも殺すということは聞い たことがありませんそのようなことは王族 をけすことであり私たちはとても耐えられ ませんそのようなことをするんであれば あなたはここにいる器ではありませんま そういうような強い口調で言われてですね セさんが自分の母殺すということを押し とめよですねそしたらアジャさんはそれを 聞いてですねギバさんにじゃあ君は私の ためにやってくれるのかていう風に言い ますけどもイさんは大王どうか通信で母を 害することをしないでくださいまたおめ られますたはそれを聞いてその立てを やめるんですけども自分の母偉大を高級の 深に閉じ込めるように命令され ますでま井夫人もですねビマシと同じよう にま別の部屋になるかなと思いますけど 閉じ込められてま悲しみフレイ少水するん ですね使い切って期にくれるでお釈迦さん に向かってお釈迦さんは昔アナンを使って 私に法を解いていただくことがありました 私は今とても悲しいんですお釈迦さんここ へお越しいただくのはとても恐れ多いので どうか弟子のモクレンさんとアナンさんに 来ていただいて法を解いていただくようお 願いできますでしょうかそういう風に涙を 流して大敗をされますでその神戸をね 上げる間その間にお釈迦さんはセソシム物 という物になって体は金色敷の体になって 連に座ってでレさんを左にアナンさんを右 に伴って現れ てで書店ですね方々貸借点とか本店と天の という方々が空から天の花を暮らしながら 供養されていてまそういった姿の内もです ね井池さんは見られますでそして井池は身 を投げ出して号泣してセに言います私は何 の罪があってこの悪い子を産んでしまった の かまた何の因縁があってあの悪大場だった とあなたは親戚なのですかそ台場だったは ですねお釈迦さんの親戚権力になるんです ねなんでそんな人とあなたは親戚なんです かっていう風に言われ ますお釈迦さんはこのなんで私はこの悪い 子を産んでしまったんですかどういうよな 因縁があるんですかていうことには直接 答えられないんですねでその次にまた井池 さんが私が手だ願うのは釈尊私のために うい悩みがない世界を解いてください私は そのような世界に王女したいんです私は そのような世界に生まれたいんです汚れた 悪い世界を私は求めませんこの世界は地獄 ガキ畜生が 満ち溢れ良くないものたちが多すぎます私 はもう悪い言葉を聞いたり悪い人を見たく はありません今釈尊の前に身を投げ出して 敗し残し ますこの私にひらかな世界を見る方法を 教えてくださいジさんは言われ ますどうですかねこういう風な感情って たまに思いを上がることありますかね いろんなねあの世の中でのニュースを聞い ても悪いことばっかりやなと思ってですね なかなか打ちて行く中で仕事もなかなか 大変やなと大変なことばっかりやなという 風に思ったらこういう風にこうね汚れた 世界悪い世界をもう見たくないわと思って ね清らかな世界だけは見たいなという風に 思われるっていうことは私もねちょっと 感じるようなことありますけどもまそれを 抱いて夫人はこの放射場の悲の中でこう 言われますでそうするとお釈迦さんはです ね未件の逆号というここに逆号ってのあり ますけどねあの五本像にも略号があるん ですちょっとまた後ほど見てもらえると 思うんですけどその眉間の号のところから 光を放さりますわーっと放つんです ねでその光が金色で実方無料の世界を 照らしてまた元に戻ってきて釈尊の頭の上 にとまりますそれがまた金色の輝く大の形 となるそしてその中に実方諸物の清かな 国土が現れ ます7つの宝でできた国ハの花が道溢れた 国天の宮殿のような国水晶出てきた鏡の ように包み切った そのような実方の国土が全て現れました釈 さんはこのような数限りない諸物の世界を 井さんにお店になられまし た抱は釈尊に言いますこの様々な物の世界 は木赤で光り輝いています私はその中でも 極楽世界のア物の世界に生まれたいと願い ますですので私にを教えてください私に 少女を教えてくださいという風に言わり ますしいというのはそこに書いてますけど も上土の姿を思い描く方法少女というのは 正しく感を受ける方法ですね上土の姿と私 の心が1つになって正しく見るということ ができる方法それを教えてくださいという 風に言われ ますそうするとですねお釈迦さんは微笑 まれまして 5色の光がその口から輝き出てビンバ シラオの浅を照らしますビマシラオって 自分のあの旦那さんねまだ幽閉されとら れるんですけどもその時にビマシラオは 宮殿の奥深に幽閉されていたけれども妨げ られることなく心の目で釈尊を仰ぎ見て頭 を血につけて拝したすると2度とこの迷い の世界に変えることのないアゴンのくいに 自然に立ったのであるいう風に書かれてい ますそして釈尊は偉大に告げますあなたは 知っているだろうかあ仏はこの世界を去ら れてからそれほど遠くなりだからあなたは 極楽世界に思いをいたしこう懸念するて いう感じで書きますけど念をかけるねら 世界に思いをいし今かな行を完成して物に なられたア物をはっきりと見るが良い私は 今はあなたのために広く様々な例えを解き またひらかな業を納めたいと願う未来の 全ての人々を西方の極楽世界に生まれさせ ましょういう風に言われ ますまここまでがですねあの物質無料受の 始まりというかね大条の悲劇の中です えさんがお釈迦さんにお願いされたことを さんが私はこのように解いていきますよ いうのが述べられたことになりますでこっ からこう具体的なねじゃあそのどのように 見ていくのかていう方法を あの13個のあの上前っていうのと3前 っていうのが3つな全部で16個あるん ですけどもまそれをねあの全部伝えたらね 結構大変んであの実際ずっと自分で測って みたんですけど全部をちゃんと話すとね1 時間半かかってしまうんで45分という ことなんで飛ばし飛ばしにさせていただい てまた気になるところがあったら聞いて もらえればなと思いますけどまずその16 個のあの方法述べる前にですねえ説法の1 つ1番初めのところから始めていきます けどかの国に生まれたいと思わんものは3 服をすべという風に言われます3つの服 ですねその世界に生まれたいと狙うものは 次の3種の良い行いを納めるが良いという 風にお釈迦さは始めあります1つには親 高校をし自分の師匠ですね死や年長のもの に使いいつく趣味の心を持ってむやみに 生き物を殺さず従前10の良いことを納め な従前を収める こと2つには仏法層の三方に冷えし色々な 戒めを守り行いを正しくすることこれ さっきあの1番初めに読んだ3系問仏法層 の3方に帰依 しな3つには悟りを求める心を起こし深く 因果の通りを信じ大場の協定も口に備えて 他の人々にもそれを星へ進める こと抱てよこの3種の行いは過去現在未来 の諸物がなさる清らかな行いであり悟りを 得る正しい因なのであるというふに言わり ますどうですか皆さんこの3つの産って いうのを出すことができますかねなかなか ね私は難しいじゃないかなとま思っとる ところですまたちょっとその後ねお伝え させていきますでま続けられて釈尊は アナンと抱けに言われますよくよく聞いて 深く思いを巡らすが良い如来は今煩悩に 苦しめられる未来の全ての人々のために 清らかな行いとも解く偉大今よくぞ訪ねて くれたまたアナンよあなたはこれから私が 解く教えを忘れずに心にとめ多くの人々に 解き広めるが良い私は今抱けと未来の全て の人々が西方の極楽世界を見ることが できるように教えよ仏の力によって鏡に 自分の顔形を映し出すようにその清らな 国土を見ることができるのであるその そして心は喜びに満ちはれそこで直に無償 暴人をうるであろうという風に言われます 無償防人ってねちょっと難しいなかなかね 説明するのは難しいんですけども生じる ことも滅することもないという心理を認識 することという風に書いております不省 不滅の法ねま食うとかね縁切りというもの をま理解したような境地なのかなという風 にも思うところですまたちょっとそこはね あの次の機会にお 伝えよあなたはボブであるという風にさん はさん言われるんですねあなたの心持ちは 劣っておりまだ天元痛を得ていないから はるか遠くを見通すことができないしかし 諸物如来には特別な方法があってあなたに 極楽世界を見させることができる とはそれに答えて私は今仏のによってその 世界を見ることができましたでも仏が この世を去られた後の人々は様々な悪い 行いをして良い行いをすることがなく多く の苦しみごくにえ責められることでしょう そういう人たちは一体どうすれば網物の 極楽世界を見ることができるでしょうか 言われますまお釈迦さんの力なくですね 自分の力でどのようにして見ることが できるんですかいう風に言われるんですね でそこからさっき言った16の方ですね お釈迦さんが言われますまちょっと初めの 触りだけねお伝えできればなと思うんです けど1つ目が日ソ火を重と書いて日ソです ねただ心を集中して念を一緒にかけて1つ のところにかけて裁縫西の方を思いなさい ではどのようにして裁縫を思い描くのか それにはまず日没を見るが良いという風に 言われますその感を始めるにあたっては まず姿勢を正して西に向かって座り はっきりと夕日を思い描くがよるそして心 をみなさず思いを一点に集中して他のこと に気を取られずにいられたなら次に夕日が まさに沈もうとして西の空に太鼓の形の ようになるのが分かるだろうそれを見 終わった後目を閉じても開いてもその夕日 の姿ががはっきりと見に見えるようにする のであるつまり自分の目で見たものをです ね目が閉じてもはっきりとま心の目で見る ことができるようになるであろうという風 に言われてねこのように思い描くのを日ソ といい初めの感と名付けるというに言われ ます2つ目が水素水を思う水素ですね次に 水を思いなさい水の住んで清らかなるのを 見てはっきりと見ることができるように なり心が分散しないようにしなさい水を 見ることができれば氷を思いなさい氷の 透き通った様子を思い描きそれがルリで あるという思いを起こすがゆルリてあの ルリ色の子宮のルリです ねこの思いをなし終えたなら極楽世界の ルリの大地がうにも外にも 透き通り移り様子を見るであろうそして それはまるで1000億もの太陽を集めた ようでありとてもまばゆくて見ることは できないその光の中から清らかな風が 起こり至るところから吹き寄せて楽器を 鳴らすと物の教えが響き渡るのであると このように思い描くの水素といい第2のカ と名付けるという風に言われますでそっ からですねまた3456とこう続けられて いくんですちょっとねそこをもう説明し とると ようわからんよなってくるんです説明し とる方もなかなかない分からなくなって ちょっと割愛をさせていただいて789の ところですね手の層ところからあの説明し ますけれども次に苦悩を除く教えを解示す しっかりと心にとめ多くの人々のために時 広めるが良いそう言うと突然無料呪物が 空中に姿を表してその左右には3大死の二 菩薩が伴っておられたその公明はまばゆく 輝いてはっきりと見ることができない偉大 は目の前に無料呪物を見ることができたの で釈尊に拝して申されます釈尊私は今釈尊 の力によって無料呪物と神音大政死の二 菩薩を拝ませていただくことができました 釈尊がよ去られた後の人々はどうすれば無 物とその薩を見立てまることができます か偉大をその物を見立て祭りたいと思う ならまずハの台座を思い描くと よりこの5本尊の下にもハの台座があり ます ね今まであんまりそういう風にねあの見た ことなかったかもしれないんですけども 台座ありあの右のAの方には ね台座下に座っておられるのが見ますけど 分かりますあのあの右の今度の右のそっち の壁の方ちょうど後ろになります皆 さん生子の上ねあこにもこうハの花に座っ ておれる見えてますあれがハの台座です ねでそのハの台座っというところの説明を するんですけどもまず7つの宝でできた第 1の上にハの花があると思い そのハの花びらの1つ1つが100の宝の 色を持っていると思い描くのであるその 花びらには8万4の葉脈葉っぱの脈ですね があってまるで天の美しい絵のよで ある花びら宝玉光台座柱それぞれを1つ1 つ正しく思い描いてはっきりと思うがよい このように思い描くのをけ層けの層といい 第7の間と 名付けで次八目の像層ですね像っていうの は人面に像と書いて似ているという風な 意味ですけども次に物を思い描くが良い 諸物如来はどの人の心の中にも入っている このためあなたたちが物を思い描く時その 心はそのそのまま様々な物の姿でありこの 心は仏なのである誠に知恵が海のように 広く深い諸物は人々の心に従って現れて くださるだからあなたたちはひたすらあ物 や諸物を心にかけてはっきりと思い描くが よる自分がこう物をね思い描く時にそれが 実はもうそのまま物の姿であってその心が もう物なんですよという言われとちょっと ね分かりにくい けどそうなんですよという風に言われとん ですねまそういう風に受け取って いただければなと思うんですけどあ物を 思い描くにはまずその像を思い描くので ある目を閉じていても開いていても金色に 輝く一体の仏像がそのハの花に座っている 様子を思い浮かべるが良いその後心の目が 開いて明らかにはっきりと7つの宝で飾ら れた極楽世界の大地や池や立ち並ぶ木々を 見その上を美しい宝の幕が多いまた色々な 宝で飾られた網を見るで あろうこの感が終わったなら大きなハの花 が物の左側と右側にあると思うがそして その左側のハの花に完全菩薩の像が座り物 と同じように金色の光を放っているのを 思い思い描きまた右側のハの花に大聖し殺 の像が座っているのを思い描くがよこの像 が成就した時ごめんなさいこのカが成就し た時あ仏の像とカゼン大聖死の二菩薩の像 が皆金色の光明を放って宝の木々を照らす のを見るであろうこのように思い描くのを 蔵そといい第8のカと片付けるまさっきは あのハの花の台座を見てくださいてこと だったんですけども今回はあさんとカゼン 大子のおが蓮の花に座っておられるの 思い描いてくださいという風に言われて ます ねで次ですね9番 目変換一切色素という風に言いますけれど も次に無物の真の姿と妙を思いがくアナン よ無料呪物の体は黄金のようにまばゆく輝 輝いているまた眉間のビ号は右に緩やかに 巻いているまた体の毛穴から放たれる光明 は山のように大きくその頭の後ろにある 五行はとても広くその中にはたくさんの 化身の物がほれになりそれぞれの化身の物 にまた数限りない化身の菩薩が付き添って いる 無料呪物を思い描こうとするものはその物 の特徴の1つを思い描くことから始めるが 良いそれにはまず眉間の号を極めて はっきりと思い描くことである眉間の逆号 を思い描くなら8万4の優れた特徴を持つ お姿がおか現れて くるここにおられるさんのここの眉間の語 も小さいですけども見えますかねなかなか 見ることがてないかもしれないこないだ僕 もこないというか昨日ね確かめていってみ たんですああるなと思います真ん中の ところにありますこうして無料呪物を 見立てまるならそれはすなわち実方無料の 諸物を見立てまることになる諸物を見立て まることによって諸物は目の前で悟を売る ことを約束してくださるであろうこのよう に学の広く全ての物のお姿を思い描くそう とい変換一切式深層第9の関と名付けると いうに言われ ます平等員報道って皆さんいかれたこと あります か行ったことあるっていうかちょっと手を あげ てそんなたくさんではないんですか僕はね あの小学校の時には多分修学旅行で行き ましただから結構私世代の子供はま ほとんどみな行ってるかなと思うんです けどえっとね今年ちょっと改めて行ってみ たんですそしたら ねいやすごいなと思ったのがねあのガイド の人がねあの用員報道のこと説明されるん ですけどほとんど同じような今言うたよう な同じようなことはと全部説明される何も 見んとすごいなと思いましたおさんやない やろうなと思ったんですけどもそういうの ねにずっと説明しとってね多分あれ1時間 2時間ぐらいずっっと説明してるですけど あんなを用できるなと思いましたねほんま にこれでその領土院報道に複本来行図って いうのがあるのご存知ですか ね鎌倉時代の後期なんですけどもこの半 無料樹教の補強に基づいて複本の王城思想 ですねを図したもです生前の行いや進行に よって臨の際にア如来がどのようにお迎 するかっていうのを常本上昇から下問下商 までの9段階に分けてまその用院報道の 道内の扉とか壁に書かれているんですねで ここのの種類っていうのは常本上昇常本 中小常本下しのがあっまた中本から中本 上昇中本中小中本下で最後に下問下しあの 下問上昇下中小下問 少俗上品でですの上品ですね下品ですねっ ていうのも下問ですね同じ感じですだから 結構そういったののがもう一般に広まっ とることなりますそ条文上昇からここの前 またここの説明すると大変なんで条文上昇 と中本化粧と下問化粧の3つをねちょっと 説明したいなと思い ます常本上昇ですねその国に生まれたいと 願う主情は3種の心を起こして王場します その3種の心は何かと言えば1つには市上 心2つには人身3つにはエコ発心でその3 種の心を備えるものは必ずその国に 生まれるのであるまた次の3種の行を 納める人々は皆大助をすることができる それはどのようなものかと言と1つには 慈しみの心を持ち目やみに生き物を殺さず 色々な怪を守って修行するもの2つには 大場の点を独自するもの3つには6年の行 を6年の年って年の年です6年の行を 納めるものであるこの人々がそれらの孤独 を持ってその国に生まれたいと願い7日間 この読を積んだなら直に王女をすることが できるその国に生まれる時にはその人が 懸命に務め励んだことによりア如来は カゼン大聖主の二薩を始め数限りない化身 の仏と共にお迎えにおいでになるこの人は ラゴを当たりにして踊り上がって喜びふと 自分を見ればその体はすでに金剛の台座に 座っているそして仏の鳩にしき従って 立ちどまるので あこのようにして極楽世界に生まれるとあ 仏の体に備わった様々な特徴と屠殺たちに 備わった特徴を見る諸仏から悟を売ること を約束され物のおを記憶して決して忘れ ない力を限りなく売ることができるので これを条文上昇のものと 名付ける以上条文のものの王城の想定第 14の間となけあり ますできるところもあるけどできひん ところもあるなっていう感じやないですか 慈しみの心を持ってっていうのはまあでき とるような気もするな ね戒め守るってなかなか難しいですね あの戒めのところはま中本の中でも出て くるんですけど も覚えてれますかねあの携帯系の時にその 電寺の野先生が8回とやつの会名っていう のはこういうものがあるんですよ具接会が ありますね接ししてはいけませんねでそれ ま大体こ5回ていうのはよくあるんです けどそれに合わせて広いベッドでたらいけ ませんよってそういうなとこ言われてたと 思うそういった会を守っていくてなかなか 難しいです ねで次に中房化粧というのがあります中房 化粧とは全量なもののうち親に高校を 尽くし人々に思いやりの心を持つものこの 人が命を終えようとする時全自主に 巡り合いその人のためにあ仏の国の清らか で楽しい様子や造菩薩の48眼について特 のを聞くこれらのことを聞き終わりその命 を終えると例えば人気な若者が素早く維持 を曲げ伸ばしするくらいのわずかな間に 再捕極楽世界に 生まれるそして7日を経て後に完大聖主の 二菩薩にあり尊い教を聞いて喜び時を経て 荒となるのであるこれを中本下のものと なると以上のことをの の王城の想と第15の関 なこれもねなんかできそうなことあります ね親に高を尽してに思いやりの心を持つよ ねただでもそれがね本当 に自分中心の心を離れとるかどうかところ はねまた難しいところ です最後にゲボでしそうですねまこれが 1番大事なところなんでちょっと時間はさ て話したいなと思うんですけど もゲボ化粧とは最も重い五逆や悪の罪を 犯しその他様々な悪い行いをしているもの このような愚かな人はその悪い行いの無意 として悪い世界に落ち明かり知れないほど の長い間限りなく苦しみを受けなければ なら ないこの愚かな人がその命を終えようと する時時全自身に巡り合い色々と慰め尊い 教えを解かえ物を念じることを教えられる しかしその人は臨時の苦しみに責め苛まれ て教えられた通りに物を念じることができ ないそこで全知識はさらにもし心に物を 念じることができないのであればただ口に 無料呪物の皆を唱えなさい進めますこうし てその人が心から声を続けて生仏と10回 口に唱えると仏の名を唱えたことによって 一声一声唱えるたびに罪が除かれるそして いよいよその命を終える時金色のハの花が まで太陽のように輝いてその人の前に 現れるのを見立ちまち極楽世界に生まれる ことができるのである 蓮の花に包まれて長い時が過ぎるとその花 が開くその時完大死の二菩薩は慈しみに 溢れた声でその人のために広く全てのもの 真の姿と罪を覗き去る教えをきになられる その人はこれを聞いて喜び直に悟りを 求める心を起こすので あるこれをゲボ化粧のものと名付ける 以上のことを下問のものの王城の層といい 第16の間と 名付けるどうですかねこれを聞いてゲボ 化粧のもの最も重い五逆学の罪を犯しその 他様々な悪い行いをして いこう言われるとなんかこれはちょっと 自分やないやないかなと思われるかもしれ んですけどもどうです かま私もそう思うです ちょっとそこまで言われたらそんなことも ないんちゃうかなと思うんですけど も至難証にはこれこそが私なんやって言わ れるんです ねそれがすごいところですこれこそが私で 皆さんもこういう風に思ってくれたら みんなが平等に救われる世界なんですよと 言われるですねそれがすごい上土新種の 面白いところかなというところに思います けどでまだあの物官事教ですねまだこの 16の間がわった後に最後にえ少しあり ます釈尊がこのようにお時になると井池は 500人の次女とともにその教えを聞いて 立ちまち極楽世界の広大な姿や涙物と漢音 大聖死の二菩薩を見ることができて心から 喜びこれまでにはない尊いことであると 褒めたえ全ての迷いが晴れて悟りを得た そして役人の次女もこの上ない悟りを 求める心をを起こしその国に生まれたいと 願ったそこで釈尊は全てのものに対して皆 王女をすることができその国に生まれた なら諸仏現前ざまをうると約束されこれを 聞いた数限りない天人もみなこの上ない 悟りを求める心を起こしたので あるその時アナンは立ち上がって釈尊の前 に進み出て申し上げますセただいまのおは 何と名付けたらよいでしょうかまたこの 教えの金めはどのように保てば良い でしょうかで釈尊は案に申されますこの 教えは極楽世界と無料呪物及び完全菩薩大 精子菩薩を感ずる虚と名付けまたこれまで の悪い行も妨げとならず諸物の前に 生まれる教であるという風に名付けられ ますそのあなたはこの教えを保ち決して 忘れてはならないこの神物ざまを行うもの はその身はこのようにありながら無料呪物 及びカゼ大聖主の二菩薩を見立てまする ことができる全量なものたちがただ生仏の 名と完全大聖死の二菩薩の名前を聞くだけ でも罪が除かれるのであるからましてそれ らを心に念じ常に思い続けるならなおさら のことであるもし物するものがいるなら誠 にその人は白く清らかなハの花とえられる 尊い人であると知るがよこのような人は安 大聖死の二菩薩が優れたととなり悟りの場 に座り諸物の家である無料呪物の国に 生まれるので あるで釈尊は花に言われますあなたはこの ことをしっかりと心にとめるがよいこの ことを心にとめようというのはすなわち 無料呪物の名を心にとめよということであ 釈尊がこのようにお時になった時木連や アナン及び井たちは釈尊のこの推しを聞い て皆大いに喜ばれますこうして釈尊は大空 を歩いて石線にお帰りになり穴は山の上で そこに都全てのものの立ちのためにこの線 の釈尊のおを解き開かれます数限りない 県人や者もその法を聞いてみ大いに喜び らしく釈尊も敗して立ち立ちのであります いう風に終わられ ます難しかったですねなかなか 繰り返しても多い しまこれが経の世界ちゅうもんなのかなと 思いますけど読んで読んで読んでいく時に ちょっとずつ見えていくかないうにっし ですねで信人はですね心において道心を 引用しながら説明されてます人は自分の力 を頼りに心を沈める修行をして上土を 見つめようとする場合があります131つ 目から13番目の上前また散乱した心 ながらも前を納めることによって上土を 求める場合がありますこれ14から16万 目の間3000さらにまた5逆とか10悪 という悪を犯す場合がありますしかしどの ような場合どのような人であろうと神仏の 知恵の公明がそれらの人々にとって真実の 新人に目覚める縁となり波仏の大時代日に よって誰にも等しく生み仏という名号が 真実の真人の因になると伝道大師は教え られていもし謝った方向に向かったとして も本願の知恵に呼び戻されるのであるから その人はまさしく金剛のように硬い の新人を受け取らせていただけるのです信 証人は全道大使の教えについて狂気1年総 後領大等略3と続けられております真実の 新人に目覚めさせてもらった人の喜びが 本願を発せられた涙仏のお心に相応する ならばその人は井夫人がたのと同じ3人も 受け取ると言われます3人ってね私も小心 芸何回か読みながらもねあんまりこう 詳しく見てなかったですけども3人ちいう のが喜ぶに忍ぶと書いて人ですね悟に忍ぶ と書いて5人で真珠に忍ぶと書いて真人の 3つ ね起人は新人によって生ずる喜びの心5人 は知恵の巧妙によって目覚めさせられた心 真人は本願を疑うことなく信ずる心です そしてこの3人が1年の新人の中に同時に 働くとされてい ますあ仏の本願を心から喜べる喜べる人は 偉大人がそうであったように現在の生活の 中でこの3人も来ることになると伝道大使 は教えられておりますそして真実保障こそ が常に変わることのない究極の安楽である と続けられます常ということ漢字はですね 一定して変わらないこと楽というのは 苦しみに対する楽ではなく私たちが認識 する苦しみと楽を共に超えた安楽のことを 言っておられるん ですこれはねあの大谷大学の教授の古田 和弘さんがですね長信議における神無領事 のところの説明をしていただいたのは ちょっと読ませていただきましたで最後に ただ新人をようとすると知るべ最後に書い てますけど もこれも単2章の第1条ですね皆の星願 不識に助け参らせて王城ばぶるなりと信じ て天物さと思い立つ心の起る時すなわち 摂取者の役にけめ 念仏申してつまり生物独自の名語を唱えて ですね救われたいという風な思い立つ ところが起こった時に我々の上土王女の道 が決まりますま私にとってはこれがま ありがたいことだなという風に感じるん ですけど救われたいと思い立つ心が起こっ た時にも決まっているんですよということ です ねその後また続きがありましてみの本願に は省善悪の人を選ばれずただ新人をよすと 知べしその故は罪悪人獣凡の市上の主情を 助けがための癌にて増しますしれば本願も 神前には他の善もよにあらず念仏に勝る べき善なき故に覚をも恐るべからず身の 本願を妨たるほどの悪なきがゆにと 運ま最後の部分ちょっと難しいんでです けどもこれはですね自分がどのような人間 なのかということに深く気がつかされて 文部の自覚があってその上で私にはあさん の本願によってのみ救われる身であったな と気づかされる自分自身を深く自覚する ことから始まる真人ですねその如来より 賜わりたる真人を信男証人は大事にして くれよという風に言われてるじゃないかな と思います 関東の弟子さんにも ただ物してみに助けまらでしいう風に言わ れてますけどもここは信男証人が自分は ボブであったな自分は下問化粧の人間で あったでもそれこそが私を救ってくれる 教えでありまた私 の大事にしておられる方あるいは一切主上 の全ての命がそれによって救われるんだ からこれをみんなで大事にしていき ましょうとそういう風に言われとんかなと 思いますねだから念仏をする と思い出す時にですね喜びがすでにそこに 真人になって来るんなという風に言われた のかなと思い ます喜びを持って新人がこう出てくると いうことです ねなかなか喜んでいけないというのがまた 自分の難しさでもあるのかなと思うんです け もそれは ね一気にってことはないんかなと思います ちょっとずつちょっと ずつ新人というの が色の中にですねあるというのを気づいて いく新人というのは自分で起こすものじゃ ないんですよねさての新人というにも言わ れて ますそういった新人ですねちょっと難しい 新人っていうのは難しいんですけどこれは また次の機会にさせていただいてですねで は幹部領事君今についてお話をさせて いただきましたちょっと時間ね長くおり ましたけど もこれでね終わりとさせていただいてあの ま質問があればこの後お弁当食べながら 色々聞いてもらえればなというにも 思っご清聴いただきましてありがとう ございまし たじゃちょっとまた最後楽勝でおります けれども はいありがとうございましたごさでした [音楽] あはいはい あの予にはないんですけどもちょっと全然 何も 喋れ言ちょっと礼とそれからお願いをさせ ていただきたいなと思ってえ見てまりまし たあのまずは今日ねこうして34名の方々 がえこうして過っていただいて本当にお互 に久しぶりになる方もあってあ あの撮ま少し取られたなとか少しおせに なったなとか色々ありますけども本当に 久しぶりにお顔見てとても嬉しく思いまし た皆さんがもお互いにあのあこういう方が 来てくださってるなってあのまからメール とかね作っていただいたのでそこで協し ながら今日 は 343の方が来てくださってるにまず俺に 申し上げたいなと思いそれからこの会場を ここはあの手えっと池を楽し向の方々の あの花がが今年ねえにててもらいますで 今年あのいつもここで指導していただい てる一瀬さんがあのちょっと今入院中でし て先生がおられない中でをけ込むという ことになりましたんで昨日もみんなで生徒 同士があやあんて言いながらあの受けてっ たようなことでいつもだったら先生ちゃ後 直してもろてま皆さんにるということある んですけど今年はそうは立とりませんので 色々とあのあのもあるかと思います昨日 あの夜に同房の会がここにあってあって男 の方が登に来てくださっとったんですけど もいやこれはもっとまっすぐにすきやとか あやと色々とヒトしてくださっておりまし た皆さんもままたね色々やったらええのと かいうことがあっ たそれからあのさきもねここであのお寺で 合うの方があの本当にたくさんの作品をて いたいてここもあのというかま中止になっ てくださったさんがえ今年初めでしたかね あのに背中を強く打たれて入院されると いうことがあって今日もよ見えてないん ですけどもだからみあのお寺で来て くださると同時にその野さんのお宅へ行っ てこの作品をね作ってくださったりした またこういう作品 とこれも皆さんも参加していただいて番に しこれにしそれからこっちの辻本さんに 教えてもらっておられたえ手の会の方々さ あのまた来年は少したくさんになったら 販売もね来ていただけるかと思いますけど もそういう形でみんなあの色々と会に入っ ていただいてそして自分の趣味を楽しみ ながらそしてそこでまた皆さんに楽しんで いただいたり役にものを作っていたいた 本当に人会の活動の中でお寺がすごく豊か にあのなってると思いますあの下に手はに ね今年の本月の婦人会という風にっで書い て買ってるんですけどもぶく人たちがいや これ歌声てどんなことされてるも私がも 散歩してもってもええんやろうかとかね 時々そういう声がるであのカラオケしてる んやから上がってきてよねとかねそういう のうんですけどもあの本当にたくさんの会 していただいていてえで今年あの お菓子作りの会に先ほど来てくださってた 新しい会議さんがわってくださったりして ねうん嬉しいなと思ったりしてますでも だんだんやっぱり人数少なくなってきて ますよね会あの 参加ですから是非皆さん各部会に今からで も結構ですので参加をね申し込でいだいて これる時お寺に来ていただいてでさっきの スさんのあの話ないですけどやっぱ仏さん の前に座らしてもらうこつのおの前もそう ですけどもこにやっぱり座るっていうこと がねすごく大事なことになるんないかなと 思うのでそういう機会をね是非増やして いただきたいなと思いますでもう1つお 願いは今日もあの話すみれというねあの この総会のあの会報告の中にありました けどもこれはあの大谷会という 大谷ハま1組織に読してるんですけども 新種大谷ハねこの大谷派の婦人会の会が このはれというあの持ってきてなくて 申し訳ないんですけども小さい冊子があり ますでこの間もこれ病院とかの待ち合せて 読むのには一番いいわ言って誰かも おっしゃってくださっとったんですけども ねちょっとあの値段が1冊が 250円かなですのでえ年間今3前でえ このところま30冊以上だと1割引きと いうことに甘えてえ 2 2750 2700円2ね2700円であの分けして いますでところが今年やっぱりちょっと 少なくなってましてもう今ギリギリ30冊 なんです1人でもかけたら来年はもう高く なるのでねあの来年に向けてまた後続ま 途中でやめておられる方ももう1ぺ是非 復活してほしいし読んだこと葉な言われる 方はあの今ね通信も神教についての今日 ちょっと今まであまり聞かれたことがない ようなお話聞いてもらったと思いますけど もあのこの中にも飽和が必ず2つ3つ入っ てますし後ろにはあの新集についての職 初歩的な質問のページもあったりして とても読みやすいあの思いますで男の方の 中でもま読んでくださってる人もあるて その3人の男の会員さんによって30名が なんとかされてるという現状ではあります のでね是非ここにおられる方今からでも これからあの来年どもに申し込みますので え2700円を払っていただいて是非読者 になっていただきたいなと思うよなこと ですよろしくお願いをしたいと思います私 が立ったら大体お願いばっかり言てるよう なことが多いですけどもあの本当に夫人の さんには助けていただいて今年で23回 23回目のこの 紹で本当に23年前にあの紹できてその時 に初代の会長さんがまだでも今四国で元気 に生きてくださっておりましてあのその妹 さんの僧さんが今会長になてくださってで 間は桑田さんというねあのさんという方方 があの今神戸の息子さんのタの方で上用さ れてますついてもおお手話に参って くださって本当に元気 にできたらちょちょこちょでもしたいんや けどって言いながらねそとでお世話になっ てるのでという風なことでしたま皆さんに 是非よろしくおっしゃっといてくださいね ていうでね帰られたんですけども本当に たくさんの人がそうして今の会振ってきて くださってるということをね皆さんの心に かけて今だけじゃなく歴史がある夫人会で 今まではあのお時を作ってもらうとかそう いうことにも頑張ってきていただいてたの でコロナも収まってそろそろおお寺も づくりというま初めついだけでもいいから なんかそういう風なことにもねちょっと またあのしていただきたいなとこれもお 願いを不かなところにしてるようなこと皆 さん方の目協力がないとくけてね でまたそういうことについてもよろしくお 願いしたいと思いますともかく寺を支えて いただいてる本当に婦人会の活動が大きく 提してまして今あの通信もまここで1週間 土日だけ帰るぐらいの生活になっており ますけどもその間あのさんにけてもらっ てることがいっぱいあることをねとも喜ん でますしま帰ってきた時に本当に頑張って やってくれてますので私は本当に京の将来 は安心やなと心より喜んでおります本当に どうも皆さん今日でありがとうご

法話資料:仏説観無量寿経 2024年6月9日 釋 崇心

三帰依文 https://shinshuseiten.higashihonganji.or.jp/contents.html?id=1&page=0

「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし。」   
親鸞聖人が法然上人より頂いた言葉(歎異抄)
参考文献:大谷大学 きょうのことばただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし。
https://www.otani.ac.jp/yomu_page/kotoba/nab3mq0000000kpj.html

「信心決定のうえに、仏恩報尽のために念仏もうすこころは、おおきに各別なり。」
蓮如上人 (御文)

仏説観無量寿経 王舎城の悲劇
 登場人物:阿闍世(あじゃせ)頻婆娑羅(びんばしゃら)韋提希(いだいけ)
      悪友 調達 (じょうだつ=提婆達多) 月光(がっこう)耆婆(ぎば)
釈尊(しゃくそん) 目連(もくれん) 富楼那(ふるな) 阿難(あなん)

思惟=浄土の姿を想い描く方法  
正受=浄土の姿と私の心が一つになり、 正しく観を受ける
無生法忍(むしょうぼうにん)=生じることも滅することもない(不生不滅)という真理性を認識すること

①日想 ②水想 ③地想 ④樹想 ⑤八功徳水の想 ⑥総観想 ⑦華座の想 ⑧像想
⑨遍観一切色身想 ⑩観世音菩薩の真実色身想 ⑪大勢至の色身想 ⑫普観想 ⑬雑想観
⑭上輩生想 ⑮中輩生想 ⑯下輩生想

参考文献:真宗聖典
仏説観無量寿経(現代語版)浄土真宗本願寺派 長久寺様
http://www.yamadera.info/seiten/a/kangyo_j.htm

心を静める修行で浄土を見つめる(定善)
散乱した心でも善を修めることで浄土を求める(散善)
三忍とは、喜忍(きにん)・悟忍(ごにん)・信忍(しんにん)

参考文献:「慶喜の一念」大谷大学名誉教授・九州大谷短期大学名誉学長 古田 和弘様 
https://jodo-shinshu.info/category/shoshinge/shoshinge65.html

「ただ信心を要(よう)とすとしるべし。」 (歎異抄)
参考文献:ただ信心を要とす・としる・べし 〜藤場俊基〜

ただ信心を要とす・としる・べし 〜藤場俊基〜

#仏説観無量寿経 #教徳寺 #法話 #真宗大谷派 #浄土 #じょうど
#かんぎょう #きょうとくじ #ほうわ #しんしゅうおおたには

Leave A Reply