元子の生涯 悲劇の妊娠と道長の圧力で人生が狂っていく【光る君へ】

[音楽] こんにちは歴ショックです今回は貞子の 出家後に一条天皇の気となった元子の生涯 について紹介します道長の地点の宇大臣に 登った藤原の秋光の娘として生まれた元子 は貞子以外の気があまり愛を得られない中 唯一一条天皇に気に入られて解任しますが 創造妊娠だったようで水を産む状態となっ てしまいます その後も一条天皇の愛は変わらず貞子死後 は一条天皇の1番のお気に入りとなります が明子に王子を産ませたい道長の妨害に 合い62一条天皇に会うことも叶わず孤独 な蛇を送りました一条天皇の死後は新たに 源の寄りさだと恋に落ちますが父秋光の 怒りを買って髪を切られて雨にされて しまい実家からの出版屋敷の相続を巡って の対立など先時代とは打って変わっての 激動の後反省を送ります今回は異常妊娠と 道長の圧力で人生が狂い一条天皇の死後は 自分を取り戻すかのように新たな夫との愛 に生きた元子の生涯について紹介し ます貞子不在の中で一条天皇の調いを獲得 する元子の 執事元子の青年ははっきり分かってはい ませんが979年頃の生まれと推定され おり後に道長の自の大臣となり最終的に 大臣まで登る藤原の秋光と村上天皇の工女 守子内心王の長女として生まれました一条 天皇の1歳ほど年上で貞子の2歳年下明子 の9歳年上となります元子の父藤原の秋光 は藤原の金家の兄で監督を務め仲の悪い 金家を祖先に追い込んだ藤原の金道の長男 として生まれましたただし金道の口愛が 秋光の母から別の妻へと移ったこと秋光 自身優秀とは言えない人物だったことから 弟のアテルに昇進で抜かされてしまい 995年時点ではアテルがダイナゴンだっ た一方秋光は中名言にあんじていました ですがそこに藤原の道かを始め多くの苦行 の命を奪った疫病が巻き起こりアテルを 含め秋光の上にいた多くの工業が亡くなり は道がこれ地下に継ぐ3番手となり権野 ダイナゴンに登りますさらに翌年の長徳の 辺でこれ地が失客し秋光は道長に都宮大臣 に登ったばかりか一条天皇唯一の木であっ た中宮貞子が出家し妃の座が表面上は空席 となりましたそれまで苦行たちは一条天皇 に娘を代させたくても中野監督家の映画の 元一条天皇自身が貞子と三な関係にあため 代させたくても難しいという状況にあり ましたしかしその貞子が出家により妃の 資格を失さらには権力者道長の長女明子は まだ8歳で時代は当分先であることから 遠慮する必要はなく苦行たちは一斉に娘の 時代を目指し始めます当時17歳になって いた元子は数年前ならいざ知らずこの時点 では明子が候補足りえない以上道長に継ぐ 大臣の娘であるに一条天皇と年も近いと いうまさにうってつけの人材となってい ました質的にも元子は母を通じて村上天皇 の孫に当たるため頭領階級の高なしを母に 持つ貞子と比べてもはるかに天皇の気とし てふさわしい存在ですただし時代において は金家のイボで当時は道が秋光に継ぐ3 番手の大ナゴンだった藤原の金星が996 年7月に当時22歳の娘 を秋にじて代させています秋光も道が明子 といった権力者の指示を得て元子の代に 向けて動いていたと言い元子はよし子から 遅れること4ヶ月後一条天皇に代を果たし ほどなくして女子となり長殿の女子と呼ば れるようになりました先に代したよし子は 一条天皇の愛をあまり受けられなかった 一方元子には一条天皇も興味を示したと 言いますキスの娘よし子も第5天皇の王子 有明新王の娘を母に持ち質では申し分あり ませんでしたが天皇の孫とひ孫という格差 か単に好みの問題か元子は貞子不在の高級 で一条天皇の調合を独占しましたですが 元子の時代の直後に第一史長子内心王を 出産した貞子を一条天皇穴をも配し出血先 としての正当性を失った身でありながら 貞子の代理のすぐ隣の中宮式の長者式の 造士に再び招き入れ度々王を重ねることと なりますわずか半年余りで元子による一条 天皇の調いの独占は崩れることとなりまし たが元子への調いが全くなくなったわけで はなくこの4ヶ月後に元子はついに解任し ました父の秋光は大喜びし妊娠3ヶ月頃の 997年年末になって正式に解任を報告し 元子は出産のために代理を出て父の大邸宅 堀川殿へ退出しました元子の一向が代理を 退出する様子を殿のよし子の女房たちが 水越に見物するのを見て友のわが殿はミ のみはんでいると憎まれ口を叩きよし子の 女房たちを悔しがらせるという話が映画 物語に記されるなど18歳の元子にとって はまさに得意の絶頂でしたしかしこの妊娠 はうまくいかず平時代の女性としての最高 の栄誉を手にするはずだった元子の人生は 徐々に狂っていくこととなるの です一条天皇には愛されるも道長の前に 会うことも叶わず明子代後の 元子実家が没落し自身が出家してもなお 一条天皇の調いは変わらなかった貞子でし たが出家した先に対する貴族社会の目は 厳しくかつての映画の影もなく人々からは 嫌をされるそとなっていました一方で一条 天皇はなき永雄天皇の血を引く唯一の子と して絶対に王子を儲け高等をつがなければ ならない立場にありましたこの思いは母で ある明子が息子以上に持っていたと想像さ れ明子が誰でもいいから王子を生んで くれればと語ったという話が映画物語に 納められています道長にとっても自分の娘 が代できない中貞子が王子を生みやがては その王子が意するよりは元子が王子を産ん でくれた方がずっとマだったこともあり 元子は多くの人々の期待を受けて出産に 望むこととなりました元子が代理を退出し 年が開けて2月になると一条天皇の目のと 藤原のしげ子がなき藤原の道かとの間に 設けた14歳の高子が手代していますが 一条天皇とは会わず愛を受けられません でしたそして慣れ親しんだ女性を求めた 一条天皇はは周囲の目もあり貞子とは気軽 に会えない中次に気に入っている元子高子 時代の12日後に妊娠中ながら代理に参入 させるという異例であまり褒められない 行動に出ています元子にとっては一条天皇 の愛を再確認できたことになり出産予定 時期の6月を迎えましたが一向に出産の 気配はなく心配した秋光によって交流寺に 連れられ気筒を受け続けたところようやく 産気きますですが映画物語が描くところに よると水が流れ出しのみで水をうあげく お腹はすっかりしぼんでしまい資産ですら なく妊娠自体なかったということになって しまいました元子の出産を唯一伝える映画 物語の表現は調があるにしろこれは元子が 妊娠を願うあまりの想像妊娠だったと推測 され秋光を始め周囲を落胆させることと なりました不幸な出来事ですが元子にとっ ては資材以上に面木を失う恥ずかしいこと であり妊娠同然に体に負担がかかっていた ことからそのまま交流時で病にふして しまいます周囲も元に同情するのではなく あわい馬鹿にする歌まで作ったと言い かつて代理退出時によし子をミスが妊娠し ていると馬鹿にした笑わは恥ずかしくなり 親元に帰ってしまうなど元子を巡る環境は すっかり厳しいものとなってしまいました 不幸は続きこの頃流行していた疫病によっ て母の子内心のがなくなってしまい元子は 病にふしながら泣き母のモ伏すという辛い 日々を送りますですが一条天皇は元子を 見捨てずクドの島の藤原の雪なを使わして 元子を見舞元子は999年になって ようやく病も言えて実家の堀川殿に戻り ましたそして貞子が再び会員し出産のため 平の成邸に下る中よし子高子では満足でき ない一条天皇は仕切りに元子を求め元子は 妊娠中に代理に参入して以来1年以上ぶり に里代の一条員に移っていた一条天皇の元 に参入を果たしますしかしこの年には貞子 が待望の王子あや神王を出産する一方元子 に行為的だった道長がわずか11歳の明子 を5人目の気として手代させるなど元子の 周囲の環境は一段と厳しいものになりまし た 翌戦年には明子が中宮となり元子の上に 立ち一定2項状態となる中元子は妊娠の 影響かやいがちで7月には再び実家に戻っ てしまい貞子が3度目の解任をする中一条 天皇に遭うことすらままなりませんでした それでも一条天皇の心は元子から離れず8 月にはそれまで関が小毛だったのが一気に 受3美まで上げられる遭遇を受けています これは雪なを非常のことと驚かせよし子の 父キスに自分の娘にもと迫られた一条天皇 自身資料もせず行ったと述べるほどで一定 2時代も元子が貞子につき先として一条 天皇の心の中にあった証拠とも言える 出来事でしたですが明子が幼いとはいえ 元子に万が一幼児を生まれでもしたら道長 はいよいよ困るため道長の柴元子が参入 予定の上京殿には死体がれ建物が汚れて しまいこれを受けてか元子は2日後に病気 を理由に参入を中止してい ます年には貞子が第3次出産の直後に 亡くなりこの頃には元子の病も治り始めて いたことから一条天皇は貞子を失った 悲しみを埋めるかのように元子を求め参入 を促そうとしますしかし映画物語りによれ ば元子への手紙を託された女房は明子の父 道長をはって代理出資しなくなってしまっ たと言い明子からの王子誕生を目指す道長 にとって最大の敵貞子死後は元子は邪魔者 になってしまっていました加えてこの年に は元子の同歩で秋光の後継者だった光る 少々と呼ばれていた貴公士藤原のしが友子 のおいで道長の勇志となっていた親友源の 成のと共に突出家してしまうという事件が 起こっています元子の異常妊娠裁の続いて 後継者まで失った秋光は却下されるものの 自評を出すほど落ち込んでしまいました ほどなくして復帰し秋光は道長に従順に 従うも元子はこのせもあってなかなか代理 に参入できませんでした元子は孤独な状況 を打破するため入院の明子を訪ねて歌を 読むなど独自に活動しますが明子も 1002年に亡くなりうまくいきません でした1005年にはよし子と共にから ジニに昇進しますが当初はよし子のみを 小三美に上げる方針で道長は進めており 秋光が一条天皇に申し入れた結果元子義子 2人が道長の意に反してジニに上がると いう経緯があり道長の元子への敵が 垣間見える出来事となります元子が27歳 になった6年には元子のいる堀川殿のすぐ 近くにある道長邸の東三条殿を沙代りとし ていた一条天皇の元へ久々に参入を果たし ていますが止まることなく夜のうちに退出 しており道長と明子の圧力に阻まれて一条 天王との王もままならない状況でした元子 はやがて明子が出産できる年齢に達するに 至りいよいよ一条天皇との王も亡くなって いきこの孤独な日々の反動のように一条 天皇の死後新たな声を求めた結果父と 一悶着起こし世間を騒がせることになり ます新たな前に生きようとするも父と 大喧嘩し出家させられる一条天皇死後の 元子一条天皇は1008年に19歳の明子 との間に敦平新王翌年に松長新王を設け 後頭継続の責務を果たしましたですが 少なくとも記録上は元子と再び会うことの ないまま101年に1条天皇は亡くなり 元子は32歳で未亡人となってしまい元子 は天皇の死を痛み大人並の布200タを 心情し歌を残しています一方父の秋光は 元子が王子を埋めず自身の後継も出家する など不幸続きでしたが1010年に次女 のぶ子が3条天皇の第一王子熱新王の気と なっており新たな希望を抱いていました 一条天皇の死の翌年頃から元子は村上天皇 の王子で永雄天皇の同歩に当たるため新王 の次男で参議の地位にあった2歳ほど年上 の源のよさと男女の中になってしまいます 源の沙はかつて後代使時代の3条天皇の気 で道長の居前にあたる泰子がちいを得られ ずに寂しくしていたところに密通しこう 儲けてしまったという話が残っている人物 です元子が一条天皇死後に別の男と関係を 持つこと自体は同じ女子だった道かの娘子 が再婚ししているように避難されることで はありませんでしたむしろ問題になったの はユサが秋光に無断でジュニーと高い地位 にある元子に手を出したことで秋光は 102年10月頃になってついに堀川殿を 尋ねたよさと元子の王の現場を目撃するに 至ります秋光はさではなく元子に怒り女の 命でもある長い髪を切りさらには樹海まで 頼んで元子を正式に浜とする打ちを与えに 会うことを禁じましたですが元子も容易に はくさず父の堀川殿を出版し根のの息子の 屋敷に逃げ込んでなおもよさへの愛を貫き 通そうとしますよさも元の一ずにますます 入れ込むようになり世間も特別避難はし ませんでしたですが秋光はいよいよ参って しまったらしく大場官では憎きよさと顔を 合わせることも多かったためノイローゼと なり出資できなくなってしまい翌年正月に 出資した際は泥のような汚い服装でいる 様子を実が心配し日記に書き記すほどでし た一方元子は秋光とは離れて暮らしながら よさとの愛を育み36歳になった年頃には ついにヨサとの間に女子を設けその後もう 1人女子を生んでいますユサには制裁が おり元子は見かけの立場ではありましたが ジュニーの行為にあり父なしでも経済力力 がある元子はよさの愛も合って実質的に よさの制裁の座にありましたこの頃70代 になっていた秋光は熱神王との間に王子を 設けていた次女の信子に全てを託しその熱 神王は106年の5一常店の意に伴い交代 使になりますですがこの頃の秋光はおい かららかいよいよ儀式でのミスも増え人々 の笑い物になっていきこうした孤独感も合 元百と若の道へ進み元の感動を解かれてい ます最も世間はこれを当然のことと見なし 助道長も元に同情的で特に道長は秋光の 頑固さを笑っていたと言いますその秋光の 最後の希望のぶ子の夫皇大使神王は道長の 前に皇大使の座をしさらには道の娘にられ てしまいました子 にくれるこの状況か元子は数年ぶりに堀川 殿に戻りよさや娘たちと暮らし始めます この時元子の頭にあったのはこの大帝宅 堀川殿の所有権で本来は秋光から長女の 元子に譲られていたものの有さとの一件が あって以来秋光に所有権を取り上げられ 屋敷は妹の名義となっていました元子は これを取り戻そうとかつて一条天皇の気と して同じ立場にあった明子に近づき明子の 堀川殿はのぶ子の関与するものではないと の言葉を引き出していますこうして和解し たはずの秋光との関係が再び悪くなる中 109年には信子が34歳で亡くなって しまい秋光は悲しさのあり泣き叫んだと 言いますですが元子と有さは表面上は参議 の有さが信子の死により汚れ公務に支障が 出るのを防ぐためとしながらも娘を連れて 揃って堀川殿をし悲しみにくれる秋光を そばで支えることはしませんでした翌20 年になってようやく元子さ夫妻は堀川殿に 戻り秋光と暮らし始めるもこの頃流行して いた疫病により有さは1020年7月に 43歳で亡くなってしまいます秋光はそれ までは元子有さ夫婦とうまくやっていた ものの明新のとなき名子の子たちもいる 屋敷で疫病の死者を出したことで検定を気 にし堀川殿でよさの包容を営むことを許さ ず再び親子は険悪になりますさらに秋光は 堀川なの小子の子供たちの財政基盤にして あげたかったようで元子と所有権を巡って 対立し続け断るごとに同居する娘を口汚く 罵っていたと言いますですが秋光はさの死 の翌年1021年に77歳で亡くなり元子 は最後までギシした関係にあった父を見る こととなりました葬儀は熱神王が中心と なって行われたようで結局堀川殿は元子の 所有に期したとされます以降の元子の消息 は分かっていませんがサネスケラ貴族の 日記に記載がないことから人々に忘れ去ら れるくらいには長生きしたのではないかと 推測されています元が手にした堀川殿は ジニの行為にあり経済的に裕福な元を持っ てしても維持悲が爆で余し1023年頃 までには終りの国士などを務めた藤原の常 国に売却されています巡り巡って堀川殿は 道長の子百道の元に見上され元子は娘たち と共にその一角を借りて住んでいたと想像 されます元子の娘の1人はゴザ天皇に代し た寄り道の幼女のミドの別当として女房 勤めをしていたことが確認されています また元の秋光は死後道長に恨みを持つ悪霊 サフと呼ばれるようになっており元子は娘 たちを育てる一方度々衝突した父が悪霊 扱いされるのに複雑な思いを抱きながら 静かな万年を過ごしたと考えられ ます最後まで動画をご覧いただき ありがとうございました参考文献は概要欄 に記載しておりますこの動画をいいなと 思っていただけたら高評価チャンネル登録 をお願いしますこちらのアイコンをタップ していただけるとチャンネル登録できます Twitterウェブサイトでもたくさん の日本史情報を発信していますのでよかっ たらチェックしてみてくださいね

参考文献
角田文衞『承香殿の女御: 復原された源氏物語の世界 (中公新書 25)』
https://amzn.to/45m15Z6
倉本一宏『一条天皇(人物叢書) 』
https://amzn.to/4cEFyhO
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藤原道長の次点の右大臣に上った藤原顕光の娘として生まれた元子は、定子以外の妃が寵愛を得られない中、一条天皇に気に入られて懐妊しますが、想像妊娠となってしまいます。
その後も一条天皇の寵愛は変わりませんでしたが、彰子に皇子を産ませたい道長の妨害に遭いろくに一条天皇に会うことも叶わず、孤独な日々を送りました。
一条天皇の死後は、源頼定と恋に落ちますが、父 顕光の怒りを買って髪を切られて尼にされてしまい、実家からの出奔、屋敷の相続を巡っての対立など、妃時代とは打って変わっての激動の後半生を送ります。
今回は、異常妊娠と道長の圧力で人生が狂い、一条天皇の死後は自分を取り戻すかのように新たな夫との愛に生きた元子の生涯について紹介します!
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【画像引用】
大河ドラマ光る君へ公式サイト

#光る君へ #元子 #一条天皇  #大河ドラマ

21 Comments

  1. 顕光の一族は、栄花物語において中関白家没落後の道長のライバル的な役を担わされたこともあり、想像妊娠の件など話が盛られがちです。
    大半は小右記や御堂関白記にも記載があり、本動画では栄花物語史観はなるべく排除していますが、どうしても影響は出てしまっています。

  2. 中公新書からかつて出ていた「承香殿の女御」(角田文衛著)初版は、60年前だが、藤原元子を始めて取り上げた本だった。
     私は、高校生の時始めてこの本を読んだが、角田氏の分析力には脱帽した。今でも、この説通用するので、再販しないかな。

  3. 「御簾」を孕む、、、「水」を孕む
    うーん、語呂が合いすぎてて作り話っぽさが…🤔💭
    想像妊娠すらなかったか、産まれたけれど無かったことにされたか。っていうのは考えすぎ?
    おどろおどろしい平安時代なら何があっても不思議では無いような気もします。

  4. 死体を置くなどの道長の陰湿な嫌がらせは大河では描かれないんでしょうねー
    元子さんは中々思い通りに行かない人生ながらも、愛を貫き、長生きもできたのはよかったと思いました

  5. 主上の「妃」だったかつ位がとんでもなく高い人でも「妾」になってしまうのね
    まひろはどんだけ高望みだったのかとww

  6. 定子以外に寵愛されていた女御がいたとは、知りませんでした。村上天皇の孫なら身分的にも申し分なく后に相応しいのに、またも道長に妨害工作を受けているんですね。一条帝に会わせないなどいろいろ策略を企ている道長に、あれほどの栄華を築くための裏の知られざる手段を感じてしまいます。それだけ皇子を産むというプレッシャーがキツく、想像上の妊娠騒ぎまで起こっているとは女御間の熾烈な争いも伺え、痛ましいです。
    一条帝死後、新たな相手を得てやっと幸せを得られるはずが、今度は父に反対され尼にされそうになってしまうとは、信じられない展開ですね!頼定は前歴のあまり良くない人のようですが、なぜ顕光はそれほど反対したのでしょう?妾という立場が嫌だったのでしょうか?いくら自分に無断で付き合っていたといっても、頼定はそこそこの貴族であるので不思議です。なまじ元子が従三位と位が高く財産があるから、心配が先に立ったのでしょうか?その後の堀川殿を巡っての争いも資産家の相続争いのようで、多くを所有する者ならではの苦労ですね。維持費が嵩んで結局頼通に献上されたというのも、何だか皮肉です。

  7. 彰子様の良妻賢母エピソードがどんどん出てきますね笑
    彰子様にとって元子様はかつてはライバル関係だったとはいえ、自分と同じように父親の政治の道具にされた元子様に同情的だったのではないでしょうか。

  8. 定子を悲劇の女性と描きがちだが、常識的に考えると、出家しながら男性との身体の関係を断てず、妊娠出産迄してしまうのは、破壊尼とも言える破廉恥さ😵‍💫幾ら天皇からの誘いでも、断る強い意志があれば断れる筈。それによって失脚する親兄弟も宮中には居ない。要は、自分の欲求に忠実過ぎた訳だ。それは一条天皇も同じ。平安時代って、そんなに恋愛至上主義だったのかな!?とんでもない時代だねぇ😮‍💨節度や常識は何処…他の妻達も、全然幸せとは思えない。本能的に生きる人が多いと、周りはいい迷惑。当時、貴族の娘は親兄弟の出世の道具というのが定番。振り回したり(定子)振り回されたり(他の妻達)、身分の高い女性は生き辛い時代だね…

  9. いつも詳しく、またわかりやすい動画をありがとうございます😀

    昔、「承香殿の女御」という本を読み、元子に興味を持ちました。
    一条帝との連絡役は右近ですね❗

    頼定が元子を正妻扱いするほど、元子は(父に似ず😝)魅力的な女性だったのでしょうね。

  10. 元子、天皇が亡くなった後の再婚が上手くいった方の女御だけど、為時の叔母さん(醍醐天皇の従姉妹&女御)が結構勝ち組な気がします。

  11. 元子ちゃんのぶっ飛びが大好き❤
    一条天皇に愛されたとかどうでも良いわ。
    元子ちゃんは駆け落ちしても好きな人と添い遂げて自分の財産で幸せに暮らした。

  12. 元子の気が強いのはそうなんだが、悪霊左府顕光も頑固すぎじゃないか・・・?
    親子喧嘩にしてはやり過ぎ・・・

  13. ううむ、いつもながら深いですね。元子で一本大河ドラマ作れますわ。源頼定は匂宮のモデルかもしれませんね。

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